すやすや生活日記

専業主婦が日々を記録するブログ

久々に実家に帰省したら親がYouTubeでホルホル動画ばかり見ていた

この前、年始に実家に帰省した時のこと。

60代後半の父は、一日中テレビでYouTubeを見ている。

見ている動画を観察してみたら、以下だった。

  • 大谷翔平を賛美する動画
  • 外国人が日本人や日本文化を賛美する動画
  • 保守系論者の動画

特に見る頻度が多かったのは、大谷翔平と日本を賛美するホルホル動画だ。

 

ホルホルとは…

(主に国家・民族的な話題で)恥ずかしげもなく誇らしげに自画自賛をしている姿を揶揄するネットスラング

元ネタはNAVER ENJOY Koreaで、韓国人がハングルで書いた笑い声の機械翻訳
主に日韓罵倒合戦場として使われていた同掲示板で、韓国人が日本叩きや
ウリナラマンセーをする際に見られた。(他に「キルキル」「カルカル」「ゲルゲル」などもある)
本人たちは誇らしげに書いているが、機械翻訳特有の珍妙さがウケて、
朝鮮人が得意気になっている、図に乗っている様子を表す言葉として、2002年頃には嫌韓系の韓国ネタ語として定着した。

 

出典:ホルホルとは [単語記事] - ニコニコ大百科

 

こういうホルホル動画を見て気持ち良くなる理論は以下。

大谷翔平すごい ⇒ 日本人すごい ⇒ 俺すごい

日本人が褒められることで、間接的に自分が褒められているような気持ちになるのだ。

日本人は外国人(特に白人)から褒められるのが好きだ。

それは他者評価を気にする国民性と、欧米人への劣等感が根底にあるのだろう。

 

 

父は小学校の校長をしていた人だ。「先生」と呼ばれ、敬意を払われることが当たり前の環境で長年過ごしてきただろう。

定年退職後、誰からも賞賛されたりゴマをすられたりしないと、自尊心を見失ってしまうのではないだろうか。

「私は存在するだけで価値がある」という自己受容の精神は、集団主義的な教育が根強かった父の世代には無さそう。

自分の存在価値に他者評価が必須なのだ。

そこでホルホル動画を見て、自分が褒められた気になって、気持ちよくなることで精神を保っているのだとすれば…仕方のないことなのだろうなあと思う。

誰も不幸になってないから良いっちゃ良いのだが。

私は外国人がわざとらしく日本人を褒める動画を見ると、嬉しさより恥ずかしさが先行する。

 

今回の帰省で、外国人が日本を褒めることを主体とした動画の再生数を伸ばしているのは、自尊心を失いかけている人たちなのかもしれないという考察を得た。

 

そして、最近、実家の右傾化が進んでいる。

両親は基本的にテレビ局が嫌いで、私がTBSの報道番組でとりあげていた日銀の金利と円安の話をしたら、母に「TBSは左翼寄りだから信じるな」と言われた。

さらに、実家では朝NHKを見るのが習慣になっているのだが、最近では父が「NHKは左翼寄りだ」と番組を見ながらよく文句を言うらしい。

そんな感じで、テレビをあまり見なくなったそうだ。

今話題の自民党の裏金問題の話をふると、両親はまず初めに「安倍元首相は悪くない」と話を切り出してきた。安倍氏は裏金に反対していた(?)らしい。もちろん応援している政治家は高市早苗

さらに父は最近、クリスマスなど欧米が発祥のイベントを嫌悪し、キムチは「朝鮮漬け」と言って食べなくなったそうだ。

ここまでいくともう、政治思想が強すぎて、実家がしんどい。

テレビを離れた両親は、ネットのフィルターバブルで右傾化が進んでいる。

一日中YouTubeを見ている父の運動不足と認知症も心配だ。

 

ちなみに、今回話に出しても両親に怪訝な顔をされなかったテレビ局が"テレ東"である。

なぜなら実家は田舎でテレ東が映らず、両親は評価のしようがないからだ。一応民放各局の番組はYouTubeで見れるが、まだ存在に気づいていないっぽい。

私はこれから政治経済の話題を出す時「テレ東で見た」と言うことにしようと思っている。

 

【みんなも気を付けて】マグネットシリコン鍋敷き、燃える

 

ニトリで買った、シリコンで出来てるマグネット鍋敷き。

冷蔵庫にペタッと貼り付くので便利なのだが、鍋底にも張り付いてしまうという難点がある。


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そしてついに今日、やらかした。

鍋敷きの張り付いたフライパンをコンロで加熱してしまった。

煙もくもくであわや火事になるところだった。

 

燃えた鍋敷き↓

f:id:penguinxxx:20240110152938j:image

 

ちなみに臭いは薄かったので、煙に気づかなかったらもっと燃えてただろうなぁと思う。

ネットで検索してみると、同じ失敗をしている人が多数いる模様。

 

これはヒヤリハット。絶対またやってしまう…

もうこの鍋敷きは使わないでおこうと思った。

 

みなさんも十分お気をつけください。

 

【斎藤幸平 著】人新世の「資本論」<3>脱成長コミュニズム

斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』

前回のブログでは、「経済成長と二酸化炭素削減が両立できない理由」について書いた。

popololo-nyanya.hatenablog.com

 

経済成長を必須とするシステムが資本主義だ。つまり、資本主義のもとでは二酸化炭素削減をするのがほぼ不可能だという。

今回は、資本主義の代替としてこの本で提案されている「脱成長コミュニズム」についてまとめていきたい。

 

まず、コミュニズムについて詳しく話す前に、資本主義について書いていきたいと思う。

 

共産主義社会主義が良いというわけではない

この本は資本主義を批判するからといって、「共産主義社会主義が良い」と言っているわけではない。

そして、マルクスは将来社会を描く際に「社会主義」「共産主義」という表現をほとんど使っていないそうだ。その代わりに使っていたのが「アソシエーション」という用語。

マルクスは、コモンが再建された社会を「アソシエーション」と呼んでいた。

 

資本主義のダメなところ

ここからは資本主義の悪口を言っていこう。

 

①希少性を生み出すために潤沢さを減らす

経済学者のローダデール伯爵によれば、資本は希少性のために作物の収穫量を減らすという。

例えば・・・

  • タバコの収穫量が多すぎる場合に、あえて収穫物を燃やす
  • ワインの生産量を減らすために、法律でワイン用のブドウ畑の工作を禁止する

過剰供給は価格を下げてしまうので、価格を維持するためにわざと破棄される。

 

②「価値」が優先され「使用価値」が犠牲になる

使用価値」とは、水や空気などがもつ、人々の欲求を満たす性質である。これは資本主義の成立よりもずっと前から存在している。
それに対して「価値」は貨幣で測られ、市場経済においてしか存在しない。

 

例えば、時計としての「使用価値」は、ロレックスもカシオも大して変わらないのに、ブランド化や広告で人工的に作られた希少性によって、「価値」は全く違うものになる。

みんながフェラーリやロレックスを持っていたら、スズキの軽自動車やカシオの時計と変わらなくなってしまう。

フェラーリやロレックスの社会的ステータスは、他人が持っていないという希少性にすぎないのだ。

そして、相対的希少性は終わりなき競争を生む。

自分より良いものを持っている人はインスタグラムを開けばいくらでもいるし、買ったものもすぐに新モデルの発売によって古びてしまう。

こうして人々は、理想の姿、夢、憧れを得ようと、モノを絶えず購入するために労働へと駆り立てられ、また消費する。

消費主義社会は、商品が約束する理想が失敗することを織り込むことによってのみ、人々をたえざる消費に駆り立てることができる。

「満たされない」という希少性の感覚こそが、資本主義の原動力なのである。

 

③多くの人に欠乏を生む

ニューヨークやロンドンの不動産価格は、小さなアパートの一室が数億円に上るケースも多く、家賃も毎月数十万~数百万円する。

そうした不動産は、住居目的ではなく投機の対称として売買されている。しかも投機対象の物件は増えるばかりで、誰も住んでいないアパートも多い。

そのかたわらで、家賃が支払えない人々は長年住んでいた部屋から追い出され、ホームレスが増えていく。

比較的裕福な中流層ですら、家賃を払うため過労死寸前まで働かなければ、そういった物件には住めないのが現状だ。

ましてやオフィスや店を開くのは大資本家でないと難しい。

これは多くの人にとって欠乏である。

土地の価格は人工的につけられたものであり、価格が減じたところでその土地の「使用価値」は変化しない。

 

④惨事便乗型資本主義

資本主義にとっては、気候変動はビジネスチャンス。

気候変動は水、耕作地、居住などの希少性を生み出す。希少性が増えれば、その分だけ需要が供給を上回り、それが資本にとっては大きな利潤を上げる機会を提供することになる。これを「気候変動ショック・ドクトリン」という。

同じく、「コロナショック・ドクトリン」に際して、アメリカの超富裕層が2020年春に資産を62兆円も増大させた。

「使用価値」を犠牲にした希少性の増大が私富を肥やす。これが「価値と使用価値の対立」であり、資本主義の不合理さを示す。

 

 

以上、本著に書かれている資本主義の問題点をまとめてみた。

 

次に、斎藤氏が資本主義の代案として掲げる「脱成長コミュニズム」について書いていきたいと思う。

 

コミュニズムとは?

コモン」とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富のことである。

水、電力、住居、医療、教育、生産手段といったものをコモンにしていく。共有財として自分たちで民主主義的に管理するのが「コミュニズム」だ。

これは、アメリカ型の市場原理主義のように、あらゆるものを商品化するのでもなく、ソ連社会主義のようにあらゆるものの国有化を目指すのでもない。

 

これだけだと抽象的すぎてイマイチ良く分からないと思うので、「コモン」という言葉を理解するために、昔のイギリス(16世紀、18世紀)で起きた「コモンズの解体」について書こうと思う。

 

コモンズの解体

イギリスではかつて、入会地のような共有地は「コモンズ」と呼ばれていた。

人々は共有地で果実、薪、魚、野鳥、きのこなど生活に必要なものを採取していた。

 

 

しかし、そのような共有地の存在は資本主義と相容れなかった。みなが生活に必要なものを自前で調達していたら、市場の商品はさっぱり売れないからである。

だから、コモンズは解体され、排他的な私的所有に転換されなければいけなかった。

人々は生活していた土地から締め出され、それまでの採取活動は不法侵入・窃盗となった。

 

生活手段を失った人々の多くは都市に流れ、賃労働者として働くよう強いられた。

低い賃金のため、子供を学校に行かせることもままならず、家族全員が必死に働いた。

それでも、高価な肉や野菜は手に入らない。食材の品質は低下し、入手できる品の種類も減る。時間もないので、伝統的な料理レシピは役立たずのものとなり、じゃがいもをただ茹でたり焼いたりする料理ばかりになっていったというわけだ。

しかし、資本の観点から見れば、土地を追われた人々が労働力を売ることで貨幣を獲得し、市場で生活手段を購買しなければならなくなることで、商品経済は一気に発展を遂げることになる。

 

 

( ´ _ `).oO(「飯がまずい国は戦争が強い」と、どこかで聞いたことがあるけれど、飯がまずい国ほど経済発展している=戦費が調達できるから強いってことなのかなぁ)

 

コモンを取り戻すのがコミュニズム

コミュニズムは、コモンズを再建し、「ラディカルな潤沢さ」を回復することを目指す。これまで貨幣によって利用機会が制限されていた希少な財やサービスを潤沢なものに転化していく。

※ラディカル・・・革新的、急進的

 

この本ではコミュニズムの具体例がいくつか挙げられている。

 

例えば・・・

①電力をコモンに

市民が電力の管理をする「市民電力」

デンマークやドイツで試みが進められているらしい。

日本でも、市民が市議会に働きかけ、私募債やグリーン債で資金を集め、耕作放棄地に太陽光パネルを設置するなど、地産地消型の発電を行う事例が増えている。

エネルギーが地産地消になっていけば、電気代として支払われるお金は地元に落ちる。
営利目的ではないため、収益は地域コミュニティの活性化のために使うことができる。
そうすれば、市民は、自分たちの生活を改善してくれるコモンにより関心を持ち、より積極的に参加するようになる。
このような循環が生まれれば、地域の環境・経済・社会は相乗効果によって活性化していく。

ただし、原子力発電はセキュリティ上の問題から情報を秘密裏に管理されなくてはならず、そのことが隠ぺい体質に繋がり、重要な事故を招いてしまう。市民電力には、再生可能エネルギーのような開放的技術を使うと良いという。

 

②生産手段をコモンに

資本家や株主なしに、労働者たちが共同出資して、生産手段を共同所有し、共同管理する組織をワーカーズ・コープ(労働者協同組合)という。

組合員がみんなで出資し、経営し、労働を営む。どのような仕事を行い、どのような方針で実施するかを、労働者たちが話し合いを通じて主体的に決めていく。

事業を継続するための利益獲得を目指しはするものの、市場での短期的な利潤最大化や投機活動に投資が左右されることは無い。

職業訓練と事業運営を通じて、地域社会へ還元していく「社会連帯経済」の促進を目指す。労働を通じて、地域の長期的な繁栄に重きを置いた投資を計画するのである。

 

この本で例に挙げられている世界のワーカーズ・コープ

日本でも、介護、保育、林業、農業、清掃等の分野でワーカーズ・コープの活動は40年以上続いているという。

 

③その他、コモンにできるもの

教育、医療、インターネット、シェアリングエコノミー、Uber…コモンにできるものはいたるところに存在している。

例えば・・・

  • ウーバーを公有化して、プラットフォームをコモンにする
  • 新型コロナのワクチンや治療薬も世界全体でコモンにする

 

脱成長

ありとあらゆるものがコモンになり、「ラディカルな潤沢さ」が回復されるほど、商品化された領域が減っていく。
そのため、GDPは減少していく。つまり脱成長となる。


だが、それは人々の生活が貧しくなることを意味しないという。
むしろ、貨幣に依存しない領域が拡大し、人々は労働への恒常的プレッシャーから徐々に解放されていく。
その分だけ、人々はより大きな自由時間を手に入れることができる。安定した生活を獲得することで、相互扶助への余裕が生まれる。

そして、消費する化石燃料エネルギーは減る。

 

これまで脱成長は、「環境を守るために、皆が貧相な生活を耐え忍ばなければいけないのか」と批判されてきた。

だが、貧相な生活を耐え忍ぶことを強いる緊縮のシステムは、人工的希少性に依拠した資本主義の方であると斎藤氏は言う。

私たちは、十分に生産していないから貧しいのではなく、資本主義が希少性を本質とするから、貧しいのだ。

私たちは経済成長からの恩恵を求めて、一生懸命に働きすぎた。一生懸命働くのは、資本にとって非常に都合がいい。

希少性を本質にする資本主義の枠内で豊かになることを目指しても、全員が豊かになることは不可能である。

だから、そんなシステムはやめてしまおう。そして、脱成長で置き換えよう。

その方法が「ラディカルな潤沢さ」を実現する「脱成長コミュニズム」である。

 


 

以上、脱成長コミュニズムについての解説でした。

 

この本では、ここからさらにマルクスの「資本論」の最新研究に基づき、労働を抜本的に変革する方法が書かれている。「人新世の資本論」という名前の章に書かれていることだから、この章がこの本の一番肝になるところかもしれない。

が、長くなりそうなので解説は以上にしようと思う。

興味のある方はぜひ本を手に取って読んでみてください。

私は、とりあえず「脱成長コミュニズム」という言葉の意味が知りたかったので、その輪郭が分かっただけでも学びがあった。

 

感想

この本を読んで疑問に思ったことがある。

この本では、脱成長を目指すにあたり、GDPは上げなくて良い、むしろ下がっても良いということを主張している。

GDPはもともと第二次世界大戦をきっかけに生まれた、各国がどれほど戦費調達できるかを計るための指標であり、現在でも国の軍事力を表す指標でもあるのではないだろうか?つまり、GDPが下がることは国の軍事力が落ちるということではないか?と。

 

果たして現在もGDPと軍事力には相関関係があるのか?

気になったので、ネットで適当に調べた世界のGDPランキングと軍事力ランキング(2023年のデータ)をもとに、Excelでグラフ化してみた。

ちなみに、軍事力は軍事力指数(Power Index)であらわされており、値が小さいほど軍事力は高くなる。ただし、この指標の評価基準に核兵器は含まれていない。

 

 

アメリカと中国が飛びぬけてGDPが高いせいで、それ以外の国がごちゃごちゃしてしまうので、横軸を対数にして目盛りの最小値をいじってみた。

なんとなく相関関係がありそうなグラフができた。(専門家じゃないので正しいデータの見方は知らないけれど)

やっぱり、GDPが高いと軍事力も高くなりそう。

あと、ドイツはGDPが高いわりに軍事力が低いことが分かった。2019年だと軍事力指数はそこそこ良いのになんでだろう。

 

データ参照元

世界の軍事力ランキング トップ25 [2023年版] | Business Insider Japan

【2023年最新】世界GDPランキング(国内総生産)・一人あたりのGDPランキングを紹介 | ELEMINIST(エレミニスト)

 

日本が脱成長している間に、隣の国がガンガン資本主義経済まわしてGDPを上げていたら、侵略戦争をしかけられた時、大丈夫なんだろうか。

全世界が一斉に「脱成長」するか、戦争が起こらないようにするか、それとも、軍事もコミュニズムでどうにかなるのか…そこらへんどうなんだろうなと思った。

 

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【斎藤幸平 著】人新世の「資本論」<2>電気自動車に変えてもCO₂は1%しか削減できない

斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』

 

前回のブログでは、環境問題やグローバル・サウスからの搾取について書いた。

popololo-nyanya.hatenablog.com

 

前回の続きを書いていきたいと思う。

 

この本によれば、「地球温暖化の危機に立ち向かうためには、資本主義システムの中で対策をしてもダメ」だという。その理由をまとめてみた。

 

温暖化対策に技術だけで立ち向かうのは無理?

新たな技術を開発し、二酸化炭素排出量を抑えて経済発展すればいいじゃん!と考える人は多かろう。私もそう思っていた。

そういう緑の経済発展を、政府が財政出動することで実現するという主張を気候ケインズ主義という。

 

<気候ケインズ主義とは>

再生可能エネルギーや電気自動車を普及させるため、大型財政出動公共投資を行う


雇用を作り出し、有効需要を増やし、景気を刺激する


好景気がさらなる投資を生み、持続可能な緑の経済への移行を加速させる

 

本書では気候ケインズ主義を否定する。

経済成長をしながら二酸化炭素排出量を減らすのは不可能だということだ。

 

経済成長しながら二酸化炭素を出さないのは不可能

経済成長が順調であればあるほど、経済活動の規模が大きくなり、資源消費量が増大する。

2~3%のGDP成長率を維持しつつ、2100年までの気温上昇1.5℃以下という目標を達成するためには、二酸化炭素排出量を今すぐにでも10%前後のペースで削減する必要がある。
だが、市場に任せたままで年10%もの急速な排出量削減ができる可能性は無いだろうと斎藤氏は言う。

 

ガソリン車を電気自動車に変えても二酸化炭素は1%しか削減できない

温暖化対策としてよく取り上げられる電気自動車は、その生産過程をみるとそれほどグリーンではないという。

 

電気自動車に積むリチウムイオン電池。この原料であるリチウムとコバルトを採掘するためには、環境破壊は避けて通れない。

 

リチウムは地下水の中に溶け込んでおり、その水を蒸発させることで採取されるのだが、1社だけでも毎秒1700Lもの地下水をくみ上げている。そのせいで、周辺の水不足を引き起こしている。

 

コバルトの採掘も、周辺の水質汚染、農作物汚染、景観破壊を引き起こしている。
さらに労働環境も悪い。地下での有害物質を吸いながらの奴隷労働、児童労働が蔓延しており、子どもが作業中の事故で生き埋めになっている。

 

電気自動車の生産、その原料の採掘でも石油燃料が使用され、二酸化炭素が排出される。
また、電気自動車のせいで増大する電力消費量を補うために、ますます多くの太陽光パネル風力発電の設置が必要となり、そのために資源が採掘され、発電装置の製造でさらなる二酸化炭素が排出される。

IEA(国際エネルギー機関)によれば、2040年までに、電気自動車は現在の200万台から2億8000万台にまで伸びるという。ところが、それで削減される世界の二酸化炭素排出量はわずか1%とされている。

 

というわけで、電気自動車にかえたところで、二酸化炭素排出量は大して減らないらしい。

じゃあ、何のために世界をあげて電気自動車に変えようとしているのか…?

これについては様々な噂が飛び交っているよね…

 

資本主義には生産性の罠がある

資本主義はコストカットのために労働生産性を上げようとする

労働生産性が上がれば、より少ない人数で今までと同じ量の生産物を作ることができる

経済規模が同じままなら、失業者が生まれてしまうが、資本主義の下では失業者たちは生活していくことができないし、政治家は失業率が高いことを嫌う

雇用を守るために、絶えず、経済規模を拡張していくよう強い圧力がかかる

 

資本主義は生産性の罠から抜け出せず、経済成長を諦めることができない。
気候変動対策をしようにも、資源消費量が増大する経済成長の罠にはまってしまう。

 

というわけで、「経済成長と二酸化炭素削減は両立できない」というのがこの本の主張である。

そこで、出てくるのが脱成長という提案である。

 

ただし、この本では、「電力や安全な水を利用できない、教育が受けられない、食べ物が十分にない人々には経済成長は必要である」とも言っている。

政治経済学者ケイト・ラワースは以下のように述べているそうだ。

  • 今の総供給カロリーを1%増やすだけで、8億5000万人の飢餓を救うことができる
  • 電力が利用できない13億人に電力を供給しても、CO2排出量は1%増加するだけ
  • 1.25ドル/日以下で暮らす14億人の貧困を終わらせるためには、世界の所得のわずか0.2%を再配分すれば足りる

仮にこういった国々で資源やエネルギー消費がより多く必要になるとしても、追加的な負荷は一般に想定されるよりもずっと低いという。

 

 

今回はここまでにして、

次回は、環境問題の解決方法としてこの本が提案している「脱成長コミュニズム」について書こうと思う。

 

~続く~

 

popololo-nyanya.hatenablog.com

 

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【斎藤幸平 著】人新世の「資本論」<1>目を背けがちな環境問題

 

斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』

50万部突破のベストセラー。

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本の内容をざっくりまとめると・・・

資本主義は環境負荷を高め続け、人工的希少性によって多くの人々を困窮させる。

だから、そんなシステムはやめて「脱成長コミュニズム」に置き換えよう!

といった感じ。

 

マルクスの著書の引用や、専門用語も出てくるので、私のようなただの主婦には難しい内容であった。

でも、資本主義に乗っかりぼーっと生きてる主婦にとって、新たな気づきを与えてくれた一冊だったと思う。

 

私は読んだ本の内容をすぐ忘れてしまうので、備忘録と感想を残したい。

 

帝国的生活様式が引き起こす環境問題について

 

SDGsは大衆のアヘンである!

これは、本の冒頭に出てくる衝撃ワードである。

レジ袋削減だとか、マイボトルを持ち歩くだとか、エコカーに乗り換えるとか、そんな些細なことをしていても地球温暖化問題は一向に改善しない。

それどころか、個人の"対策している感"を満たし、大衆が本質的な問題から目をそらす結果になってしまうという意味だ。

 

環境問題の深刻さ

夏の暑さに地球温暖化を肌で感じる昨今。

原因は二酸化炭素だと言われているけれども、現在のペースを続ければ地球の気温は2030年には1.5℃上昇、2100年には4℃上昇するらしい。

するとどうなるか・・・?

  • 永久凍土が融解し、水銀が流出。炭疽菌のような細菌やウイルスが解き放たれる
  • 2℃の上昇でもサンゴは死滅、漁業に被害
  • 夏の熱波で農作物の収穫に大きな影響
  • 台風の巨大化、豪雨被害の増加
  • 海面上昇により土地が冠水。世界で億単位の人が現在の居住地から移住を余儀なくされる

えらいこっちゃ。

地球温暖化を食い止める目標として、2100年までの平均気温上昇を産業革命前の気温と比較して1.5℃未満に抑え込むことを科学者は求めているそうだ。

そのために、2030年までに二酸化炭素排出量をほぼ半減させ、2050年までに純排出量をゼロにしなくてはいけない。

現状のままなら無理なのは明確。

 

グローバル・サウスからの搾取

グローバル・サウスとは、グローバル化によって被害を受ける領域ならびにその住民のこと。(以前は「南北問題」と言われていたのだけれど、今は地理的位置と関係が無くなってきている。)

 

例えば・・・

ファストファッションの洋服を作っているのは劣悪な環境で働くバングラディシュの人々。2013年に縫製工場が入った商業ビルが崩壊し、1000人以上の命が犠牲になった。事故の前日に従業員たちは壁や柱の異常に気付いていたのに、その声は無視された。

 

服の原料である綿花を製造しているのは、インドの貧しい農民。彼らは巨大企業が作る遺伝子組み換え品種の種子、化学肥料、除草剤を買わされ、不作の年は借金を抱えることになる。除草剤が身体や自然に有害だと分かっていても、生産は続行される。

 

2019年、資源三大メジャーのヴァーレ社が持つ鉄鉱石の尾鉱(選鉱の際に生じるスライム状の廃棄物)のダムが決壊し250人以上が死亡。同様の事故は2015年にも起きており危険は分かっていたのに、労働者は採掘を強制されていた。

 

このように、資源、エネルギー、食糧、自然、ありとあらゆるものを、先進国はグローバル・サウスから搾取している。こうした先進国のライフスタイルを「帝国的生活様式」と呼ぶ。

私たちの先進国的な暮らしは、グローバル・サウスの代償なしには維持できない。これが資本主義の平常運転なのである。

 

このような問題は、昔から何度も指摘されてきたのにもかかわらず、私たちはすぐ忘れてしまう。

それは、この状況は日常において不可視化されているから。

代償を遠くの地域に転嫁して、不可視化することが先進国の豊かさには不可欠である。これを「外部化社会」と呼ぶ。

外部化社会は、常に外部を作り、そこに負担を転嫁してきた。私たちの社会はそうして繫栄してきたのである。

 

しかし・・・

今現在、グローバルサウスも経済成長してきて、「安価な労働力」は消滅しつつあり、採取を行うための「安価な自然」も無くなりつつある。

資本は無限の価値増殖を目指すが、地球は有限。


さらに、気候変動というかたちで、先進国でも危機が可視化されている。

例えば・・・

  • 魚介類や水にマイクロプラスチックが交じり、私たちは毎週クレジットカード1枚分のプラスチックを食べている
  • 熱波、巨大台風
  • 気候変動により農作物の不作に苦しむ難民が、ヨーロッパやアメリカに押し寄せる

 

富裕層が排出する大量の二酸化炭素

世界の富裕層のトップ10%が二酸化炭素の半分を排出しているというデータもある。

下から50%の人は、全体のわずか10%しか二酸化炭素を排出していない。にもかかわらず、気候変動の影響に最初にさらされる。

富裕層トップ10%の排出量を平均的なヨーロッパ人の排出レベルに減らすだけでも、3分の1程度の二酸化炭素排出量を減らせるという。


そして、先進国の人々はそのほとんどがトップ20%に入っている。日本人なら大勢がトップ10%に入っている
私たち自身が、当事者として帝国的生活様式を抜本的に変えていかなければ気候危機に立ち向かうことなど不可能なのである。

 

説教臭くなったけれど、

今回はここまでにして、

次回は、温暖化対策に技術だけで立ち向かうのは無理なのか?ということについて書こうと思う。

 

~続く~

 

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