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前回に引き続き、心理学本のベストセラー「嫌われる勇気(岸見一郎、古賀史健)」から、アドラー心理学にまつわるキーワードを、自分の備忘録も兼ねてまとめていきたいと思う。
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課題の分離
アドラー心理学における「課題の分離」とは、「自分の課題と他者の課題とを分離して、他者の課題には踏み込まないこと」である。
多くの対人関係のトラブルは、この「課題の分離」ができていないことが原因だという。
この本では、例として親と子の関係をあげている。
勉強をしない子どもに対し、親が「勉強しなさい」と強要する時、親側は「課題の分離」ができていないという。
誰の課題かを見分ける方法はシンプルで、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考える。
もしも子供が勉強しなかったら、授業についていけなくなったり、希望する学校に入れなかったりするかもしれない。
その結末を最終的に引き受けなければならないのは、親ではなく子どもである。つまり勉強とは子どもの課題である。
親たちは「あなたのためを思って」という言葉を使い子どもに勉強させようとするが、明らかに自分の見栄、世間体、支配欲などの目的を満たそうとしているのではないか。その嘘を察知するからこそ、子どもは反発するのである。
ただし、放任主義になれというわけではない。
子どもに対し、勉強は本人の課題であることを伝え、もしも勉強したいと思った時には、いつでも援助をする用意があることを伝えておく。
子どもの課題に土足で踏み込まず、見守りつつ援助することが大切だという。
他者の課題に介入すること、他者の課題を抱え込んでしまうことは、自らの人生を重く苦しいものにする。
自らの人生において、自分にできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」であり、その選択について他者がどのような評価を下すのかは他者の課題であって、自分にはどうにもできない。
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「課題の分離」について読んだ時、なんだか冷たいなぁというのが第一印象だった。
これってつまり、他者と自分との課題の境界線をハッキリさせて、自分にかかわりのない課題を無視しましょう、みたいなことだと思ったからだ。
でも、よくよく調べてみると、アドラーさんはそういう意図で言ったわけではないそうだ。
アドラー心理学において「課題の分離」は対人関係の出発点にすぎず、ゴールは「共同体感覚」だという。
「共同体感覚」の説明は難しいのだけれど、ざっくり言うと、「他者を仲間だとみなし、信頼し、貢献していくことで得られる感覚」
他者を完全に無視して自分のことだけ考えて生きるのは、アドラー心理学の目指すものではない。
「課題の分離」はあくまでも、「自分にはどうすることもできないことはあきらめ、余計な悩みを抱えないようにしよう」ということだと感じた。
『親切にしてあげたのに、どうして感謝してくれないの?』
『頑張ったのに、どうして評価してくれないの?』
そんな感情も「課題の分離」をすれば、「感謝する」「評価する」のは相手の課題だと割り切って、相手を責めたり、必要以上に悩み続けることがなくなる。
また、自分が他者の期待に応えるために無理をしたり、他者の評価を気にしすぎることも防げる。
人間関係があるとどうしても、相手が自分に向けた反応が不快になる場面が出てくると思う。
そんな時、相手の反応というのは、相手の問題を反映した出力結果であるということを念頭に置いておきたい。