先日、「嫌われる勇気(岸見一郎、古賀史健)」という本を読んだ。
アドラー心理学について、哲人と青年の対話形式で解説している本。
日本では284万部を売り上げたベストセラーなので、知っている人も多いのではないだろうか。
初版は2013年でまあまあ古い本だけれど、未だにビジネス書のランキング上位。
アドラーとは?
アルフレッド・アドラーは、1900年代初頭に活躍したオーストリアの精神科医・心理学者。
同じく有名なオーストリアの心理学者であるフロイトと一緒に研究していた時期もあったが、途中で意見の対立があり、決別してアドラー心理学を作ったそう。
アドラー心理学は100年ほど前に提唱されたものなのにもかかわらず、現代に生きる我々にしっかり響く学びがある。
今回はこの本をもとに、アドラー心理学のキーワードを、自分の備忘録も兼ねてまとめていきたいと思う。
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人の悩みはすべて対人関係
アドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言している。
ピンと来ないかもしれないが、この本に出てくる以下の言葉がそれをあらわしている。
この世界に私以外の誰も存在しなければ、私は1ドル紙幣を冬の暖炉にくべてしまうでしょう。
自分が宇宙にただ一人だけなら、学歴もお金も必要ない。容姿が醜くてもどうだっていい。
つまり、人間の抱く悩みはすべて対人関係から発生しているとアドラーは言う。
劣等感
人は無力な状態で生まれるので、無力な状態から脱したいという欲求を持っている。アドラーはこれを「優越性の追求」と呼んだ。
「優越性の追求」の中で、理想に到達できていない自分が劣っているかのような感覚を抱く。この感覚が「劣等感」であり、誰にでもあるものだという。
そして「優越性の追求」と「劣等感」は、健康で正常な努力と成長への刺激である。
劣等コンプレックス
アドラーは「劣等感」と「劣等コンプレックス」を区別している。
「劣等コンプレックス」とは、劣等感を言い訳に努力をせず不満をためている状態。例えば、「私は学歴が低いから成功できない」とか「私は容姿が悪いから結婚できない」とか…
「AだからBできない」とは、「Aさえなければ私は有能で価値があるのだ」と暗示していることになる。
人は劣等感を長く持ち続けることに我慢できず、劣等感を言い訳にする「劣等コンプレックス」に陥ってしまう。
※コンプレックスとは、複雑に絡み合った倒錯的な心理状態を表す用語。
優越コンプレックス
「優越コンプレックス」とは、あたかも自分が優れているかのようにふるまい、偽りの優越感に浸る状態。
例えば、「自分が権力者とコネがあることをアピールする」「過度なブランド信仰」「過去の栄光にすがり、自分が一番輝いていた時の話ばかりする」など…
自分が特別なわけではなく、自分と権威を結び付けることにより、あたかも自分が優れているかのように見せかけている。
そして、不幸自慢も「優越コンプレックス」である。
不幸を自慢するように語り、誰かが慰めようとしても「あなたには私の気持ちが分からない」と突き放すような人は、不幸であることによって「特別」であろうとしている。不幸を武器として使っている限り、永遠に不幸を必要とすることになる。
承認欲求
アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定している。
以下本書より抜粋。
ユダヤ教の教えの中に、こんな言葉がある。「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、一体誰が自分のために生きてくれるだろうか」
他者からの評価ばかりを気にすると、他者の人生を生きることになる。
そして、他者も「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のである。
どうして人が他者からの承認を求めるのかといえば、多くの場合、賞罰教育の影響だそうだ。
賞罰教育とは、不適切な行動をとったら罰し、適切な行動をとったら褒める教育。アドラーはこの教育を厳しく批判し、「褒めてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」といった誤った生き方につながるとした。
(続く)
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人の悩みは100年前と変わってないんだな~
そして、自分の中では複雑だと思っていた悩みに「名前」がついており、
「名前」があるということは、その感情は普遍的であり、原因と対処法が研究されているということになる。
「私だけ」だった悩みが「みんな」の悩みだったと知る瞬間に、視界が開ける。
これほど心の薬になるものは無いのではないかと思う。
では、この続きはまた今度。