コミュ障という言葉が持つカジュアルな響きが恥ずかしい年齢にはなってきたが、
今日は私のコミュ障エピソードを話そうと思う。
1. 中学時代
中学に上がってから徐々にコミュ障具合が増していった私は、ついに中3でクラスの友達がいなくなった。いわゆるボッチになった。
クラスの中でボッチになると、孤独感というより孤立感が増し、羞恥心がわいてくる。
休み時間は机にふせて寝たふりをした。誰とも話さないのは友達がいないからじゃなく、眠くて誰とも話したくないからという、誰もそうは思わないであろう体裁を装うことで、しょうもないプライドを保っていた。
三者面談で担任教師に「すやみさんがしゃべっているの初めて見ました」と言われたのは鮮明に覚えている。
中3といえば、みんな楽しみな修学旅行。もちろんボッチの私にとっては二度と行きたくない苦痛の2泊3日だった。
まず、グループ決めで案の定、あぶれた。
「すやみさんと組んでくれる人~?」「・・・・」の空気、つらすぎる。
結局、とある仲良し女子3人グループがじゃんけんして、負けた一人が私と組むことに。
旅行中はその女子と男子2人でグループ行動をとることになったが、ド緊張して常に喉はカラカラ、会話しようにも何を話せばいいか分からなく、「会話しなきゃ」という焦りだけがつきまとう。
結局そのまま観光地をまわり、何の感動も楽しさもなく、最後まで事務的会話しかしなかった。
せっかくの修学旅行なのに、私と組まされた女子には非常に申し訳なかった。
その女子とは、もちろんその後も仲良くなることはなかったので、卒業までずっとボッチだった。
2. 聴覚情報処理障害(APD)
みなさんはAPDについてご存じだろうか。
APDとは、聴覚に異常はないものの、声が言葉として聞き取りづらくなる症状のこと。
まだ治療法がはっきりしておらず、6割が発達障害が要因になっているともいわれている。
私は最近この言葉を知って、自分の悩みに名称があり、同じ悩みを抱えている人が多くいることに、一人じゃないんだと心強くなった。(ちなみに、病院での診断は受けていないのであくまで自己診断)
私が感じる具体的な症状は、以下。
・騒がしい場所での会話が困難
飲み会では言葉が全然聞き取れないので会話に参加できない。とりあえずしゃべっている人を見て、みんなと同じリアクションをして、ひたすら少しずつ料理を食べて、退屈してないですよ感を出す。
・電話の声が聞き取りにくい
初めて聞く会社名や名前は十中八九間違える。
・長い話を集中して聞けない
真剣に聞こうと思っているのに、思考がジャックされるように集中力が突然切れて「あれ?今なにしゃべってた?」となることがある。
・聞き間違いが多い
目の前でしゃべっているのに聞き間違える。聞き取れなくて何度も聞き返すこともある。何度も聞き返すのが申し訳なくなり、適当な相槌を打ってしまい微妙な空気になることも。
・口頭での指示を記憶し辛い
聞いたことを記録する脳のメモリがめっちゃ少ない感じ。議事録はまともに取れないから録音して何度も聞き返して作っていた。2時間のミーティングの議事録を作るのに1日かけたこともある。
こんな感じ。
症状に名前があるなら、その症状の原因や対策などの情報も集まるだろうから、今後も情報を収集していきたい。
3. 人の目を見て話すのが苦手
中1の時、帰り道で久々に会った近所の知り合いとおしゃべりしながら帰っていたら、別れ際「すやみさんって、話すとき全然目を見てくれないよね」と言われた。
その時初めて「人と話すときは目を見なきゃいけないんだ」と気づいて衝撃をうけたと同時に、「治さなきゃ」と強く思った。
その日から今日まで、人の目を見て会話する訓練を続けているが、相変わらず苦手。
人の目を見て話そうとすると、頭が真っ白になって言葉が出てこないので、いったん目をそらして、話す内容を考えてから目を見て話すというのを繰り返して、なんとか会話している。
そして、人の目を見て話を聞くと話が頭に入りづらい。目を見なきゃということに集中してしまい、話の内容が入ってこない。
だから、会話する時は頻繁に目をそらす。めっちゃ目が泳いでる人に思われていると思うがこの方法でしか会話できない。
言語処理用の脳の部位と、人の顔を視覚処理する用の脳の部位がかぶってしまい、どちらかをするときはもう片方ができないような感覚。
ちなみに私の母も他人と会話する時目を合わさないので、もしかすると先天的(発達障害?)な何かがあるのでは?と自分を疑っている。
というわけで、ひたすら自分のコミュニケーション能力の欠如具合を書き連ねた。
こんな感じなので、社会人になって苦労したことは多々あるし、適職の幅も狭くなるだろう。
ダメな自分と向き合いつつ、より生きやすくなる方法を考え中である。。。