世の中、不妊で悩む人はたくさんいるが、
その前段階、「子どもが欲しくならない」ことで悩む人も一定数いるのではないだろうか。
「パートナーから子作りをせがまれているが、乗り気になれない」
「子どもが欲しくない自分はおかしいのかと思ってしまう」
みんな当たり前のように欲しがるものを、欲しいと思えないせいで、パートナーとの関係に不和が生じてしまったり、自分は親不孝者だと感じてしまったり、日本の少子化を悪化させてしまうことへの後ろめたさを感じてしまったり・・・
そんなみなさんは、自分が持つ感情の原因を見つけたいのではないだろうか。
今回、それに関する興味深い本を一冊見つけたので、その内容を少し紹介したい。
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「生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害」
著者の岡田尊司さんは、東大の哲学科を中退し、京大の医学部を卒業。京都医療少年院などに勤務し、今は岡田クリニックの院長を務める。
この本は、回避性パーソナリティ障害や愛着障害について、社会的背景や科学的な視点も交えながら解説している。
さて、結論から先に言うと、
「愛着障害(回避型)」や「回避性パーソナリティ障害」を持つ人は、子どもを持つことに消極的になる場合が多いそうなのだ。
愛着障害(回避型)とは
愛着障害とは、幼少期に養育者との愛着形成がうまくいかず、発達の遅れを生じたり、対人関係に問題を抱えたりする状態のこと。
愛着障害には何パターンかあるのだが、そのうちの「回避型」は以下のような特徴がある。
- 人に対し親密な関係を求めない
- 人と気持ちを共有することにあまり関心がない
- 人に親切な行為を求めない
これは、親からネグレクトされたり、親が仕事や病気などで十分な世話ができなかったために、子どもが放っておかれる環境に適応し、他人に対して好意や親切を求めなくなった結果である。
また、世話をされないだけでなく、本人の気持ちを無視し、親が一方的に世話や期待を押し付ける場合もこの要因となる。親の支配のもとで育つ子どもは、親というものを煩わしく、どこか不快なものと感じるようになる。そして、他者は自分を侵害する不快な存在だと学習してしまう。
愛着障害(回避型)の人は、子どもを持つことに消極的
愛着障害(回避型)の人にとって、子どもは自分の世界を脅かす煩わしい存在となってしまう。
自分自身が適切に世話をされ育つことで、自分の子どもを育てたいと思う気持ちもうまく準備されやすくなる。しかし、その前提が不足してしまうと、子どもを望む気持ちも失われてしまうそうだ。
回避性パーソナリティ障害とは
回避性パーソナリティ障害とは、10種類あるパーソナリティ障害の1つ。
例えばこんな人のことである。
- 対人関係で傷つきやすい
- 親密な関係になることに臆病
- 自己評価が低い
- 新たなチャレンジに消極的
回避性パーソナリティ障害の原因には、遺伝要因と環境要因がある。
遺伝要因が6割台半ば、環境要因が残りの3分の1を占めるとされており、比較的遺伝要因が大きい。
■ 遺伝要因
不安のコントロールに関係する神経伝達物質であるセロトニン。このセロトニンを神経細胞間でやりとりする際に、ポンプの役割をして濃度調節を行うのがセロトニントランスポーターである。
回避性パーソナリティ障害の人は、遺伝的にセロトニントランスポーターの働きが悪く、不安を感じやすく、心理的耐性が低い。
■ 環境要因
親の愛情深い世話の不足、過保護・過干渉、また、学校や社会でのいじめの経験が要因としてあげられる。
親から否定され続けて育ったり、周囲の優秀な存在と比べられたりすることで、自分がダメな存在だと認識してしまう。
愛着障害(回避型)と回避性パーソナリティ障害の違いとは?
この二つ、なんとなく似ていて混乱するが、似て非なるものらしい。
まず、愛着障害(回避型)の場合は、他者の評価など気にしないし、他者との親密な関係を求めない。
それに対し、回避性パーソナリティ障害の場合は、他者を求めているが、拒否されることを恐れるために接触を避けてしまう。
そのため、回避性パーソナリティ障害の人は、ひとたび親密になると、それ以前のよそよそしい人物像とは打って変わって、強い愛情欲求や承認欲求をさらけだす。相手を束縛したり、過度に依存したり、怒りをぶつけたりすることも起きやすい。また、相手を失うことを恐れて、失うより先に立ち去ろうともするそうだ。
回避性パーソナリティ障害の人は、子どもを負担に感じる
回避性パーソナリティ障害の人は、自立した存在としての自信を持てず、責任を背負うことに大きな負担を感じる。
それゆえ、大きな責任を伴う「子どもを持つ」という行為を回避しようとする。
それはある意味、一人前の大人として成熟することへの拒否とも見てとれる。
社会の荒波にもまれながら生活していくこと、扶養家族を持ち、子どもを育てることは、大人として成熟して初めて、負担というよりも喜びに変わる。
回避性パーソナリティ障害の人は、幼い頃から期待や責任ばかりを強調され、押し付けられて育つため、それが重荷になり、大人になることに喜びや希望を感じられない。
著書の中にはこう書かれている。
大人になることを拒否することは、子どもの頃から大人のように遊ばせてもらえず、やりたくもないことを強いられ続けた子どもの、最後の抗議なのかもしれない。
子どもを欲しがらないパートナーとの付き合い方
この本には、回避性パーソナリティ障害のパートナーと、どうしたら子どもを持てるか、という方法も書かれている。
それは…「既成事実を作ること」だそうだ。
回避性に限らず、パーソナリティ障害は加齢とともに徐々に軽症化していくそうだが、回避性パーソナリティ障害の人が自分から子どもを欲しがるまで待っていると、年を取りすぎてしまう。
実際子どもが出来てしまうと、逃げられないと腹をくくり、関わらざるを得ない中で、その現実を受け入れるようになる。どうにか現状維持する方向に舵を切るようになるのだ。
回避性パーソナリティ障害の人は、将来の不確定な可能性に対して、過度に不安が強いが、既成事実となってしまうと仕方なく受け入れるところがあるそうだ。
100点満点の親にはなれない
回避性パーソナリティ障害の人は、パートナーが困って助けを必要としているとき、助けてくれないどころか、面倒くさいと腹を立てることがある。厄介ごとを強いられると自分の自由を奪われると感じ、怒りを覚えるからだ。パートナーからすると思いやりがないと映る。
家事や子育てについても、面倒ごとととらえることが多い。回避性パーソナリティ障害のパートナーに家事や育児に参加してもらうには、習慣化・日常化をすることだ。担当を決め、ルーチン化する。最初は文句を言うかもしれないが、一度習慣化すると黙っていてもやってくれるようになる。
とはいえ、回避性パーソナリティ障害の人の面倒くさがりな面は消えない。何をしても、心から楽しむという風にはいかない。
それゆえ、100点満点の父親や母親を期待してはいけない。親として当然だという世間並みの期待をかけてしまうと、その重圧から責任を投げ出しかねない。30点か40点でも上出来だと思えば腹も立たないだろう、ということだ。
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昨今、回避性パーソナリティ障害を持った若者が増加していると筆者は言う。
それは、社会の変化で共働き家庭が増え、子どもとの温もりあるコミュニケーションが不足しているが、期待やお金だけはかけるという親が増えていることも要因だと指摘している。
少子化は日本だけでなく、多くの先進国が抱える社会問題だ。
その要因の一つに、現代特有の子育て環境が関係しているのかもしれないと思うのであった。
この内容をより詳しく深堀りしたい方は、ぜひ著書を手に取って読んでみてほしい。